【風吹ジュン】今でも妖精?「サワコの朝」阿川佐和子が、その魅力に迫る!
女優の風吹ジュンさん。その妖精のような存在感は、独特。阿川佐和子さんが、その魅力をインタビューで探っていました。
【風吹ジュン】今でも妖精?「サワコの朝」が、その魅力に迫る!
風吹ジュンさんと言えば、昭和のおじさん世代にとって、憧れです!
デビット・ハミルトンというイギリス出身の写真家・映画監督が、
写真集を出した事で、一気に人気者になりました。
18歳で上京、銀座の高級クラブで勤務。
1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれデイヴィッド・ハミルトン撮影によるポスター写真でマスメディアに注目される。
1974年に歌手デビュー、1975年に女優デビュー。
1981年に川添象郎氏(音楽プロデューサー:父は港区麻布台のイタリアンレストラン「キャンティ」創業者)とご結婚。1男1女をもうけ、1992年に離婚。
以下「サワコの朝」の内容に準じます。
風吹ジュンさん。富山県のお生まれ(1952年5月12日)です。
ご家庭は、小学校5年時にご両親が離婚されました。
風吹さんは、中学校2年(11歳)でお母様が育児放棄!京都にいたお兄様の元へ。
風吹さんの番組内でのご発言によれば、お母様の経営されていたお店にドロボーが入り、お母様だって困り果てたのかも知れません。中学2年生でバラバラになってしまったと告白されました。
風吹さんのお兄様が、叔父さまの会社に就職されていたから、京都へと行くことになったそうなのでした。
京都に移り住んだ、風吹ジュンにおとずれた出来事
学校の先生から、
「保護者がいないね」「それは、ダメです」と言うことで、
学校の担任の先生のお宅に。(屋根裏部屋だったらしい)
昭和と言えば、随分昔のイメージが出てしまいますが、
風吹ジュン。強烈なアイテムでした。妖精とはこういう人を言うんだろうと、同世代の男の子(昭和35年生まれ)としては感じていましたね。
中学生当時の風吹ジュンさんは、貧しかったとか、ネガティブには感じなかったとか。苦労とも思わなかったそうです。
風吹ジュンのアイドル時代に違和感あり!
風吹ジュンさん。アイドル時代がありました。それはそれは、凄まじい人気だったです。私(執筆者:昭和35年生まれ)などにとっても、異次元の美しい妖精みたいな存在だったのであります。
当時の風吹ジュンさんと、番組などで同席された方達は、「つまらなさそうな感じだった」と、周囲から見られていたようです。(キャンディーズさんなどから)
樹木希林さんとの出会いを語った、風吹ジュンさん
2020年4月11日の「サワコの朝」で放送回での風吹ジュンさんは、
樹木希林さん(故人)との出会いについて、語りました。
その当時「寺内貫太郎一家(1975年)」の事だったとか。
実は、風吹さんは、所属事務所との軋轢などで、その当時、家賃が滞るほどに困窮していたそうです。
樹木希林さんに「よく耐えたわね」と言われ、
「この人に付いて行こう」と感激されたそうです。
風吹絢さん、67歳で剣山に、登山デビュー
風吹ジュンさんは、60歳の時に同窓会に出席し、
登山デビューを発起し、事実、剣山へと登山をされることになったとか。
「疲労することが、体力を作る」と言われて、納得されたとか。
風吹ジュンさん。現在、この美しさで、お孫さんが、4人いらっしゃるそうです。そんな風吹さんの心に響く曲は「Japanese Dream」(Daniel Caesan)という曲でした。
昭和に生まれた私(執筆者)にとっては、いつまでも妖精のような姿に接し、感嘆する次第でございます。憧れの女性。それが、風吹ジュンさんでした。